【相撲コラム】豊真将が引退

元小結で、今場所は東幕下7枚目の豊真将(33=錣山部屋)が16日に引退し、年寄・立田川を襲名した。
元小結・豊真将引退「土俵に立つ力がない」、年寄「立田川」襲名

2014年7月場所5日目の対日馬富士戦で右膝前十字靭帯損傷などの重傷を負い、以後懸命のリハビリに努めるも再起は叶わず、今場所の番付発表前日(昨年12月23日)に引退を決意したという。
今場所直前に時津風一門の年寄名跡である「立田川」を借株で襲名していた元幕内・光法が「西岩」に名跡変更(若の里からの借株)したことから、もしかして…という予感がしていたのだが、その予感が当たってしまった。
おそらく引退を決意した日に師匠に引退を伝えた後で関係者が立田川の名跡の確保に動き、全ての準備が整ったタイミングでの引退発表ということだろう。

埼玉栄高→日大とアマチュア相撲界のエリートコースを歩むも、大学1年の時に怪我が原因で相撲部を退部。3年間のアルバイト生活を経て、入門期限ギリギリの22歳11か月で錣山部屋に入門。
ブランクを乗り越え2年で部屋初の関取となり、十両を2場所で通過して新入幕。しかし、幕内昇進後も血中コレステロール異常や左手首の手術、破傷風で一時意識不明となるなどのアクシデントがあったが、それすらも乗り越えて30歳で新三役昇進。
このように様々な逆境を糧にして成長していった豊真将だけに、あの大怪我も乗り越えてほしいというファンの願いも叶わなかったのは残念である。

豊真将を語る上で欠かせないのが、彼の相撲における手刀や塵手水などの所作の美しさだ。これは師匠の錣山親方や北の湖理事長も称賛するほどである。これも入門前からの様々な逆境が相撲だけでなく人間性も大きく高めたということではないだろうか。
最近某元横審委員が白鵬の所作について苦言を呈していたが(この記事で少し書きました)、番付に関係なく全ての力士が豊真将を見習い、正しい所作を行うように努めるべきだと思う。

豊真将には労いの念と共に、今後は親方として相撲の技術だけではなく、力士の人間性も育てる指導者となることを願ってやまない。

(2015.3.22追記)
豊真将が引退を決意したのは当初は上記の通り「初場所番付発表の前日」と言われてましたが、先日日刊スポーツの相撲デスク・佐々木一郎氏が本人に取材したところによると、これは「緊張のあまり間違えて言ってしまった」そうで、実際は取組編成会議の前日(1月8日)だったとの事でした。


元・光法の名跡変更は翌日の9日に行われてますので、立田川の名跡確保にはさほど時間がかからなかったということになりますね…
なお、引退相撲は2016年1月30日に行われる予定です。

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