立浪部屋

By FourTildes (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

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【歴史】

1915年6月場所で引退した元小結・緑嶌は4代立浪を襲名し、それと同時に春日山部屋から分家独立して立浪部屋を創設した。
4代立浪は横綱・双葉山、羽黒山、大関・名寄岩の「立浪三羽烏」を筆頭に数多の関取を輩出し、一代で大部屋へと成長させた。
1952年12月に4代目が死去すると、娘婿である横綱・羽黒山が二枚鑑札で5代立浪を襲名して継承した。その後1953年9月場所で引退し年寄専任となり、大関・若羽黒や関脇・羽黒山(安念山)、北の洋、時津山など多くの関取を育てたが、1969年10月に5代目が死去。娘婿の9代追手風(元関脇・羽黒山)が6代立浪として部屋を継承した。
6代目は先代からの弟子である大関・旭國や関脇・黒姫山のほか、直弟子である横綱・双羽黒(北尾)、小結・智乃花、大翔鳳などを育て上げた。
6代目が停年を迎えた1999年2月に6代立浪の娘婿である準年寄・旭豊(元小結)が7代立浪を襲名し部屋を継承したが、経営方針や指導方針の違いから6代目と対立するようになり、7代目は離婚。更に6代目は7代目に対し部屋施設の返還と年寄襲名継承金1億7500万円の支払いを求める訴訟を起こした。1審では6代目が勝訴したが、控訴審では7代目が逆転勝訴、最高裁への上告も退けられ、最終的に7代目の勝訴となった。
2006年1月場所で猛虎浪が新十両となり、7代目が部屋を継承してから初の関取が誕生。2007年8月には部屋を墨田区両国から茨城県つくばみらい市に移転している。
2012年1月の協会理事選挙で7代目は貴乃花親方に投票したことを表明し、同年5月に立浪一門(現・伊勢ヶ濱一門)を離脱。貴乃花グループ(後の貴乃花一門)に合流した。
2018年5月に貴乃花一門を離脱し、無所属となったが、9月には出羽海一門に合流した。
2021年5月場所後に東京都台東区橋場(旧千賀ノ浦部屋→常盤山部屋(板橋区に移転)の施設。元々は高砂部屋(6代高砂(富士錦)時代)の施設だった)に移転予定。

【所在地】

茨城県つくばみらい市陽光台4-3-4
つくばエクスプレス「みらい平」駅(16)より徒歩5分

【師匠】

立浪耐治(元小結・旭豊) [委員]

【所属年寄】
【主な所属力士】

明生力(前頭2・鹿児島県大島郡瀬戸内町)
豊昇龍智勝(前頭9・モンゴル・ウランバートル市)
天空海翔馬(前頭13・茨城県東茨城郡大洗町)

【所属協会員】

行司:6代木村玉治郎(三役格)
呼出:悠斗(三段目)
床山:床辰(一等)
世話人:羽黒海憲司(元幕下6)

【ウェブサイト】
立浪部屋の公式サイトです。
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