朝日山部屋

※このページは2015年1月末を以て閉鎖された(旧)朝日山部屋について説明しております。
2016年6月1日に創設された(新)朝日山部屋についてはこちらをご参照ください。

asahiyama

【歴史】

江戸時代の大坂相撲に起源をもつ。現在の朝日山部屋は二枚鑑札で11代朝日山を襲名していた幕内・岩ケ谷が1896年に引退して創設した。11代目は大関・相生、関脇・綾瀬川ら多くの関取を育てたが、1916年7月に急逝。当時大関の大錦が1年限りの条件で12代朝日山として部屋を継承した。
1918年1月に12代目が現役に復帰(後に横綱昇進)し、関脇・二夕瀬川が二枚鑑札で13代朝日山を襲名。13代目は1921年6月場所で引退し年寄専任となり、関脇・磐石や小結・真鶴らを育てると共に、角界の東西合併に奔走。1925年7月に東京大相撲協会と大阪相撲協会の合併調印に漕ぎつけ、その後部屋を東京に移転した。
1943年9月に13代目が急逝すると、13代目の娘婿である関脇・二瀬川が1944年1月に二枚鑑札で14代朝日山を襲名し、部屋を継承した。1947年6月場所に引退して年寄専任となり、関脇・高津山や幕内・二瀬山、福ノ海らを育てたが、1959年8月に死去。部屋付きの10代北陣(高津山)が15代目として継承するも、わずか4年後に死去。1960年に分家独立して大鳴戸部屋を興していた5代大鳴戸(元前頭2・二瀬山)が16代朝日山を襲名し、大鳴戸部屋を吸収合併する。
16代目は関脇・高鐵山、小結・若二瀬、幕内・琉王らを育てる一方、トンガ王国出身の若者を弟子として迎え入れて話題になったが、1975年10月に急逝。直弟子である14代北陣(若二瀬)が17代朝日山として部屋を継承したが、若二瀬と折り合いの悪かった16代目未亡人を後ろ盾に琉王の後継を求めたトンガ人力士6人が抵抗。結局1976年10月にトンガ人力士は全員廃業となって国際問題に発展、琉王も11月場所後に廃業となった。
17代目は1997年5月場所中に急逝したため、伊勢ヶ濱部屋の部屋付き親方である13代楯山(元大関・大受)が急遽18代朝日山となって部屋を継承した。2011年1月には閉鎖された桐山部屋から力士4人などを受け入れている。
18代目が2015年3月に停年を迎えるのに伴い、同年1月場所を以て朝日山部屋は閉鎖となり、所属力士4人および年寄2人・床山1人・世話人1人は伊勢ヶ濱部屋へ、呼出1人・床山1人・若者頭1人は浅香山部屋へ2月1日付で移籍した。

【所在地】

東京都江東区大島2-13-24
都営新宿線「西大島」駅(S14)より徒歩5分

【師匠】

朝日山利秋(元大関・大受) [役員待遇]

【所属年寄】

桐山国由(元小結・黒瀬川) [審判委員] ※元・桐山部屋師匠

【主な所属力士】
【ウェブサイト】
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