九重部屋

kokonoe

【歴史】

1959年1月場所限りで引退し出羽海部屋の部屋付き親方となっていた11代九重(元横綱・千代の山)は、8代出羽海(元前頭1・出羽ノ花=後の武蔵川理事長)が自身の後継者に娘婿である横綱・佐田の山を指名したことから1967年1月場所千秋楽翌日に大関・北の冨士ら13人の内弟子を連れての分家独立を申し出た。1月末に出羽海部屋からの独立と内弟子10人の移籍が認められたが、出羽海一門には当時「分家独立を許さず」という不文律があったことから一門から破門となった。
これに対して高砂一門の総帥である4代高砂(元横綱・前田山)が救済の手を差し伸べ、11代九重は高砂一門に移籍して九重部屋を創設した。九重部屋として初めての本場所となった3月場所では北の冨士が「因縁の相手」である佐田の山を破り悲願の初優勝を果たし、十両も松前山が優勝。この快挙に九重は涙が止まらなかったという。
その後、北の富士(北の冨士)が横綱に昇進。同じく独立時の弟子の北瀬海は関脇となった。そして九重自らスカウトした同郷の千代の富士を幕内に育て上げるが、千代の富士の新三役を見ることなく1977年10月に急逝。1974年7月に引退すると同時に九重部屋から分家独立して「井筒部屋」を創設していた12代井筒(北の富士)が1977年11月に12代九重を襲名。井筒部屋を「九重部屋」に改称し、実質的に九重部屋を継承した。
12代九重は先代から引き継いだ千代の富士と、直弟子である北勝海(保志)を横綱に育て上げたほか、小結・孝乃富士、巴富士、幕内・富士乃真など数多くの関取を育成した。
1992年4月に、部屋付き親方の17代陣幕(千代の富士)と名跡交換を行い、17代陣幕が13代九重を襲名して部屋を継承。なお、1993年10月には8代八角(北勝海)が分家独立し、八角部屋を創設。この際18代陣幕(12代九重)ら部屋付き親方4人全員が八角部屋に移籍した。13代九重は大関・千代大海や小結・千代天山、千代鳳、千代大龍などを育てたが、2016年7月31日に61歳で急逝した。
13代目の逝去を受け、2010年1月場所限りで引退し部屋付き親方となっていた20代佐ノ山(元大関・千代大海)が8月2日付で14代九重を襲名し、九重部屋を継承した。
2021年2月、葛飾区奥戸に部屋を移転した。

【所在地】

東京都葛飾区奥戸1-21-14
JR総武線「新小岩」駅(JO23・JB25)北口より徒歩20分 または南口より京成タウンバス[新小58]亀有駅行きにて(所要時間8分)「東新小岩六丁目」下車、徒歩5分
JR常磐線各駅停車「亀有」駅(JL20)南口より京成タウンバス[新小58]新小岩駅前行きにて(所要時間19分)「東新小岩六丁目」下車、徒歩5分

【師匠】

九重龍二(元大関・千代大海) [審判委員]

【所属年寄】

谷川英樹(元関脇・北勝力) [審判委員]

【主な所属力士】

千代鳳祐樹(小結・鹿児島県志布志市) 
千代大龍秀政(小結・東京都荒川区) 
千代の国憲輝(前頭1・三重県伊賀市) 
千代翔馬富士雄(前頭2・モンゴル・ウランバートル市) 
千代丸一樹(前頭5・鹿児島県志布志市) 
千代ノ皇王代仁(前頭15・鹿児島県大島郡与論町) 
千代の海明太郎(十両8・高知県幡多郡黒潮町)
千代嵐慶喜(十両10・千葉県木更津市)

【所属協会員】

行司:3代木村容堂(三役格)、木村晃之助(三役格)、木村龍之助(序ノ口格)
呼出:重夫(三役)、重太郎(十両)、重次郎(序二段)
床山:床岳(一等)、床九(二等)

【ウェブサイト】
九重部屋の公式ウェブサイトです。14代目九重親方(元大関・千代大海)が務める九重部屋は、多くの幕内力士が在籍し、毎年多くの新弟子を迎え入れています。部屋の紹介や力士の成績、最新情報等をお届けしています。
九重部屋、東京都 墨田区 - 「いいね!」2,704件 · 1人が話題にしています · 104人がチェックインしました - 九重部屋は日本相撲協会に所属し、かつ高砂一門に属する相撲部屋です。
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