【歴史】
現在の出羽海部屋(出羽ノ海部屋)は1862年に3代出羽ノ海(元幕下・桂川)が開いた。続く4代出羽ノ海(元前頭・常陸山)は横綱・常陸山を育て上げた。その常陸山が1914年6月場所限りで引退すると4代目は即座に跡目を譲り廃業。5代出羽ノ海となった横綱・常陸山は栃木山・大錦・常ノ花の3横綱を筆頭に4大関、20余名の幕内力士を育て上げ、部屋は隆盛を極める。
1922年6月に5代目が死去すると、1912年に独立して入間川部屋を興していた12代入間川(元小結・両國)が部屋を合同する形で6代目を継承。6代目は先代に敬意を表し、部屋名を現在の「出羽海部屋」と改め、横綱・武蔵山、安藝ノ海や大関・増位山、汐ノ海らを育て上げる一方、協会の取締筆頭としても辣腕を振るった。
1949年1月に6代目が死去すると、力士出身者で初の協会理事長に就任していた9代藤島(元横綱・常ノ花)が7代目となり部屋を継承。先代からの預かり弟子である横綱・千代の山らを育て上げたが、1960年11月に死去。協会幹部として実績を上げていた13代武蔵川(元前頭1・出羽ノ花)が8代目として継承し、横綱・佐田の山、大関・北の冨士(九重部屋に移籍後横綱に昇進)らを育てる。
8代目の娘婿となった佐田の山が1968年3月場所限りで引退すると8代目は即座に跡目を譲り、自身は武蔵川を再襲名して協会理事に専念。1968年12月に時津風理事長(元横綱・双葉山)が急逝すると後任の理事長に就任し、相撲近代化に手腕を振るった。
9代目(佐田の山)は先代から引き継いだ三重ノ海を横綱に育て上げたほか、直弟子では関脇・出羽の花、小結・大錦らを育成。1992年には理事長に就任した。
1996年2月には11代境川(元関脇・鷲羽山)が名跡交換により10代目として部屋を継承。9代目(佐田の山)は12代境川として1998年まで理事長を務めた。10代目は小結・普天王などを育成したが、2010年5月場所には112年ぶりに関取が不在となるなど苦境を味わった。
2012年2月には出羽海部屋の分家で、師匠(元前頭1・久島海)の急逝により閉鎖となった田子ノ浦部屋から力士5人を受け入れた(幕内・碧山を含む力士3人は春日野部屋に移籍)。
10代目の停年を間近に控えた2014年2月に14代高崎(元前頭2・小城ノ花)が名跡交換により11代出羽海を襲名。名門復活へ向け奮闘している。
【所在地】
東京都墨田区両国2-3-15
JR総武線「両国」駅(JB21)より徒歩7分
【師匠】
出羽海昭和(元前頭2・小城ノ花) [理事]
【所属年寄】
中立康照(元小結・小城錦) [委員]
高崎龍水(元前頭6・金開山) [委員]
出来山双一(元関脇・出羽の花) [参与]
【主な所属力士】
御嶽海久司(関脇・長野県木曽郡上松町) [東関脇]
【所属協会員】
行司:木村千鷲(十両格)
呼出:陽平(幕下)
床山:床力(四等)
世話人:福龍岳茂生(元十両12)