二所ノ関部屋

管理人撮影管理人撮影

By FourTildes (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

By FourTildes (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

【歴史】

《旧・二所ノ関部屋》
1909年に5代二所ノ関(元関脇・海山)が友綱部屋から分家独立して創設。苦労しながらも玉錦を大関まで育て上げるが、玉錦が横綱に昇進する直前の1931年6月に5代二所ノ関が死去。部屋は閉鎖となり、玉錦ら弟子は粂川部屋に移籍した。
1935年1月に横綱・玉錦が二枚鑑札を許可され、6代二所ノ関を襲名して4年前に閉鎖された部屋を再興。関脇・玉ノ海や幕内・海光山らを育て上げるが、1938年12月に34歳の若さで急死。急遽玉ノ海が二枚鑑札で7代二所ノ関として部屋を継承した。
7代目は1945年11月で引退し年寄専任となるが、1951年に弟弟子の大関・佐賀ノ花に部屋を譲り廃業し、相撲評論家に転向した。
8代二所ノ関(佐賀ノ花)は横綱・大鵬、大関・大麒麟などを育て上げるが1975年3月に死去。暫定的に湊川親方(元前頭1・十勝岩)が部屋を継承。
後継者を巡って大鵬(一代年寄)と押尾川(大麒麟)が争ったが、8代目の次女と結婚(後に離婚)した関脇・金剛が1976年7月に現役を引退して10代二所ノ関を襲名し部屋を継承した。10代目は継承時の弟子から関脇・鳳凰、小結・大徹、直弟子から小結・大善を育成した。
2012年秋に10代目が脳梗塞で倒れ部屋の経営が困難となったことから、2013年1月に年寄3名、行司・床山各1名(力士3名は引退)が松ケ根部屋に移籍(年寄1名は出羽海一門の春日野部屋へ移籍)。これにより二所ノ関部屋は104年の歴史に一旦幕を降ろした。

《新・二所ノ関部屋》
1987年7月場所に現役を引退し、二子山部屋の部屋付き親方となっていた9代松ヶ根(元大関・若嶋津)が、1990年2月に内弟子2人を連れて分家独立し、「松ヶ根部屋」を創設。1999年3月場所新十両の若孜をはじめとして、小結・松鳳山などこれまでに5名の関取を輩出している。
2014年12月1日、9代松ヶ根が11代二所ノ関(元前頭8・玉力道=11月24日付で片男波部屋より移籍)と名跡交換を行い12代二所ノ関を襲名、部屋名を「二所ノ関部屋」と改めた。

【所在地】

千葉県船橋市古作4-13-1
JR武蔵野線「船橋法典」駅(JM11)より徒歩10分

【師匠】

二所ノ関六男(元大関・若嶋津) [役員待遇]

【所属年寄】

松ヶ根栄来(元前頭8・玉力道) [委員]
放駒新(元関脇・玉乃島) [審判委員]
湊川忠晃(元小結・大徹) [委員]

【主な所属力士】

松鳳山裕也(小結・福岡県築上郡築上町) [東前頭12]
一山本大生(十両9・北海道岩内郡岩内町) [東十両9]

【所属協会員】

行司:12代式守錦太夫(幕内格)、5代式守慎之助(十両格)
呼出:松男(十両)、悟(十両)
床山:床平(一等)、床島(一等)

【ウェブサイト】
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする