高砂部屋

takasago

【歴史】

1871年3月、姫路藩のお抱え力士だった幕内・高見山が藩から「高砂浦五郎」の四股名を与えられる(初代高砂)。1873年11月場所での番付編成などに絡む相撲会所への反発から「高砂改正組」を旗揚げして会所を脱退。1878年に調停により会所に帰参した後も年寄高砂として横綱・西ノ海、小錦(初代)など多くの弟子を育成すると共に会所の取締として辣腕を振るった。1900年4月に初代が死去すると弟子の5代阿武松(元関脇・高見山)が2代高砂として継承した。
1914年7月に2代目が死去すると、大関・朝潮(2代)が二枚鑑札で3代高砂を襲名し部屋を継承。横綱・男女ノ川、大関・前田山らを育てるが、1941年12月に廃業。前田山が二枚鑑札で4代高砂として継承した。前田山は1948年に横綱に昇進したが、1949年10月場所中に病気で途中休場しながら日米野球を観戦していたことが問題となりこの場所限りで引退後は年寄に専念し、横綱・朝潮(3代)、大関・前の山などを育てたほか、後に外国人力士初の関取となる高見山をスカウトするなどしたが、1971年8月に死去。13代振分(3代朝潮)が5代高砂として継承した。
5代目は大関・朝潮(4代)、小錦(6代=外国人初の大関)、関脇・高見山、富士櫻、水戸泉などを育成するが、還暦土俵入りを目前に控えた1988年10月に急逝。部屋付きの14代尾上(元小結・富士錦)が6代高砂を襲名した。6代目は小結・闘牙らを育てた。
6代目の停年を間近に迎えた2002年3月、1990年3月に一門内の「若松部屋」を継承していた11代若松(4代朝潮)と名跡を交換。11代若松が7代高砂を襲名したうえで若松部屋を「高砂部屋」に改称した。7代目はこれまでに若松部屋時代からの弟子である朝青龍を横綱に育て上げたほか、関脇・朝赤龍、幕内・朝乃若などを輩出している。
因みに歴代の高砂親方は初代から当代(7代目)まで全員が「高砂浦五郎」を名乗っている(6代目のみ襲名当初は高砂彰伸と名乗っていたが、すぐに浦五郎に改めている)。
高砂部屋は1878年の創設以来138年間関取を絶やしたことがなかったが、2016年11月場所後に朝赤龍が幕下に陥落。2017年1月場所は創設以来初の関取不在場所となったものの、西幕下7枚目の石橋(朝乃山)が全勝優勝を果たし、場所後新十両昇進が決まった。その朝乃山は2019年5月場所で「令和初の幕内最高優勝」となる平幕優勝を果たし、高砂部屋に9年ぶりの賜杯をもたらした。

【所在地】

東京都墨田区本所3-5-4
都営浅草線「本所吾妻橋」駅(A19)より徒歩10分

【師匠】

高砂浦五郎(元大関・朝潮) [役員待遇]

【所属年寄】

若松武彦(元前頭1・朝乃若) [委員]
錦島太郎(元関脇・朝赤龍) [主任]

【主な所属力士】

朝乃山英樹(前頭1・富山県富山市) [西前頭2]
朝弁慶大吉(十両7・神奈川県平塚市) [東幕下7]
朝玉勢一嗣磨(十両14・三重県伊勢市) [東十両14]

【所属協会員】

行司:4代木村朝之助(十両格)、木村悟志(幕下格)
呼出:利樹之丞(十両)、邦夫(十両)
床山:床弓(一等)
若者頭:伊予櫻政行(元十両11)

【ウェブサイト】
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