井筒部屋

izutsu

【歴史】

1896年1月場所限りで引退した横綱・西ノ海(初代)が7代井筒を襲名し、高砂部屋から分家独立して井筒部屋を創設した。7代目は駒ヶ岳・大江山の2大関、関脇・錦洋(後の横綱・2代西ノ海)、逆鉾らを育て上げたが、1908年11月に死去。錦洋が8代井筒を二枚鑑札で襲名して継承した。
8代目は1916年2月に横綱昇進後、1918年5月に引退し年寄専任となり、横綱・西ノ海(3代)、大関・豊國、関脇・錦洋(2代)、逆鉾らを育てるが、1931年1月に急逝。幕内・星甲が同年3月場所限りで引退して9代井筒として部屋を継承した。
9代目は幕内・鶴ヶ嶺、小松山などを育て上げるが、1944年9月に急逝。部屋は閉鎖となり、弟子たちは双葉山道場(現・時津風部屋)に移籍した。
1947年6月場所限りで引退した鶴ヶ嶺が10代井筒を襲名し、時津風部屋から分家独立して井筒部屋を再興。関脇・鶴ヶ嶺や幕内・星甲らを育てるが、1972年3月に急逝。共に部屋付き親方である5代陸奥(星甲)と8代君ヶ濱(鶴ヶ嶺)との間で後継者争いが繰り広げられた挙句、陸奥が11代井筒として部屋を継承。君ヶ濱は独立して「君ヶ濱部屋」を創設する。しかし11代目は1974年4月に井筒の名跡を10代目未亡人に返上し、7代陸奥を再襲名して部屋名を「陸奥部屋」に改めた。

その後井筒の名跡は九重部屋の横綱・北の富士が取得。1974年7月場所限りで引退して12代井筒を襲名後すぐに九重部屋から分家独立して井筒部屋(高砂一門)を創設するが、1977年10月に11代九重(元横綱・千代の山)が急逝。12代井筒が12代九重に名跡変更して九重部屋を継承しため、井筒部屋は九重部屋に吸収合併される形となった。ただし、部屋施設は墨田区亀沢に新築した井筒部屋の施設(現在の八角部屋の施設)を使用していることもあり、実質は井筒部屋が九重部屋を吸収合併し、部屋名を変更した形である。

1977年12月に8代君ヶ濱は12代九重の持つ井筒の名跡を君ヶ濱との交換で取得。13代井筒を襲名して「君ヶ濱部屋」を「井筒部屋」に改称し、時津風一門での井筒部屋が復活した。13代目は大関・霧島や、共に実子である逆鉾・寺尾の両関脇などを育成した。
1994年4月に13代目が停年を迎えたため、次男である18代春日山(逆鉾)が14代井筒として部屋を継承した。2012年5月には鶴竜が大関に昇進。2014年5月場所で横綱昇進を果たした。

2019年9月16日に14代井筒が急逝。9月場所中のため横綱鶴竜をはじめとする力士3名は鏡山部屋預かり(形式上は井筒部屋所属のまま)となる一方で、鶴竜が井筒部屋の存続を希望したことから一門内の親方による部屋継承を試みるも調整がつかず。14代井筒の実弟で、2004年1月に分家独立していた20代錣山(寺尾)も自らの部屋での受け入れを希望したが、錣山部屋は時津風一門から離脱後、二所ノ関一門に合流していることもありこちらも実現しなかった。
最終的に9月27日付で鶴竜ら力士3名および床山1名は14代井筒の兄弟子であった9代陸奥(霧島)が継承した陸奥部屋へ転籍となったことにより、井筒部屋は消滅となった。ただし先述のとおり陸奥部屋は11代までの旧井筒部屋の流れを汲んでいることから、部屋名こそ違うが、嘗ての系統に復した形となっている。

【所在地】

東京都墨田区両国2-2-7
JR総武線「両国」駅(JB21)より徒歩8分

【師匠】

井筒好昭(元関脇・逆鉾) [副理事]

【所属年寄】
【主な所属力士】

鶴竜力三郎(第71代横綱・モンゴル・ウランバートル市) [東横綱]

【所属協会員】

床山:床鶴(一等)

【ウェブサイト】
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