中川部屋(旧春日山部屋)

By FourTildes (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

【歴史】

1955年5月に15代春日山(元大関・名寄岩)が幕内・大昇らを連れて立浪部屋より分家独立し、「春日山部屋」を創設。1971年1月に15代目が逝去したため、部屋付き親方の12代浦風(元前頭1・大昇)が16代春日山として部屋を継承した。16代目は前頭1・春日富士を育てるが、1990年7月に停年を迎えたため春日山部屋は閉鎖となり、春日富士ら所属力士は安治川部屋(現・伊勢ヶ濱部屋)に移籍した。
春日富士は1996年9月場所限りで引退して20代春日山を襲名し、1997年7月に安治川部屋から分家独立して春日山部屋を再興。自身の地元である神奈川県川崎市に部屋を構えた。神奈川県では初の相撲部屋である。
2011年6月には所属力士不在となって閉鎖された高島部屋から年寄・行司ら4人を受け入れた。
2012年2月に追手風部屋の元幕内・濱錦が1月場所限りで現役引退し、21代春日山を襲名して部屋を継承。20代目は16代雷に名跡変更して部屋付き親方となり、協会理事の職務に専念することになった。

20代目(春日富士)は不祥事により同年9月に協会を自主退職したが、その後部屋施設の賃貸料滞納や春日山の年寄名跡証書の受け渡しなどで20代目と21代目が現在司法の場で係争中であり、今後の動向が心配される事態となった。
賃貸料滞納問題については和解が成立し、地元支援者の尽力により2015年9月場所後に部屋を移転したが、2016年8月に年寄名跡証書の受け渡しを巡る裁判で21代目に対して約1億7000万円の支払いを命ずる1審判決が出たことと、同年9月場所中に21代目が稽古場で指導を行っていなかったことが問題視され、10月12日に21代目に対して師匠辞任の勧告が理事会より出された。10月19日に21代目は勧告を受諾したため、春日山部屋は一旦閉鎖となり、力士23人、年寄2人、行司1人、呼出1人、床山2人、世話人1人が同じ伊勢ヶ濱一門(当時)の追手風部屋へ移籍となった。
この際、10月18日に勧告の撤回を求め記者会見を行った幕下の水口、萬華城をはじめとする力士12人が20日までに引退届を提出。協会側は慰留に努めたが、12人全員の引退届が10月31日付で受理され、九州場所後にはさらに2人(この2人は九州場所を全休したが、正式には2017年1月場所後に引退)を加えた計14人が引退する事態となった。引退した14人は12月23日に合同で断髪式を行った。21代春日山も先代との年寄名跡証書引き渡しの和解交渉が合意に至らなかったこともあり、2017年1月16日付で相撲協会を退職した。その後双方が訴えを取り下げる形で和解が成立したが、2017年3月9日に20代目が急逝。現在春日山の名跡は20代目遺族の所有となっている模様である。

春日山部屋は2017年1月場所後にも別の師匠の下で再興することを前提として、2015年9月まで使用していた旧部屋施設を使用し、追手風部屋の部屋付き親方である15代中川(元前頭14・旭里)が師匠代行として指導を行う形をとっていたが、2017年1月26日付で15代中川が旧春日山部屋を継承する形で「中川部屋」を創設し、追手風部屋から独立した。追手風部屋は2016年12月に伊勢ヶ濱一門を離脱して時津風一門に転籍していたため、中川部屋も時津風一門の所属となる。

【所在地】

川崎市川崎区大師河原2-5-3
京急大師線「産業道路」駅(KK25)より徒歩3分

【師匠】

中川憲治(元前頭14・旭里) [審判委員]

【所属年寄】
【主な所属力士】
【所属協会員】

呼出:耕平(三段目)
床山:床仁(一等)、床春(四等)
世話人:白法山和寿(元幕下2)

【ウェブサイト】
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