年寄の定義

年寄とは

年寄とは、公益財団法人日本相撲協会(以下「協会」)の構成役員である。親方の敬称で呼ばれ、年寄そのものを親方ともいう。現役を引退した力士が協会に残るためには、原則として年寄になる必要がある(若者頭、世話人など例外もある)。停年(定年)は65歳だが、希望者は70歳まで再雇用できる。

年寄の襲名条件

日本国籍を有することとともに、以下の条件のいずれかを満たすことが必要。(1998年5月以降)

  • 最高位が小結以上
  • 幕内在位通算20場所以上
  • 十両以上(関取)在位を通算30場所以上(*)

(*)2013年12月20日に「関取在位通算28場所以上なら、名跡の前保有者と師匠、保証人の親方の願書があれば、理事会でその是非を決定する」 という規定を同年11月17日の理事会で追加していたことが相撲協会から発表され、関取在位期間については事実上2場所短縮された。この規定が初めて適用されたのは発表の当日付で現役引退して年寄・君ヶ濱を襲名した寶千山幸勘(関取在位が通算29場所で、従来の規定では1場所不足していた)。

なお例外として、相撲部屋継承者と承認された場合には、次のいずれかの条件に緩和される。

  • 幕内在位通算12場所以上
  • 十両以上(関取)在位を通算20場所以上、番付制限なし
一代年寄
  • 《功績顕著》
    一代年寄とは、現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、日本相撲協会の理事会がその横綱一代に限って認める特別な年寄名跡で、名称には引退時の四股名がそのまま用いられる。一代限りのため譲渡・継承は出来ないが、その代わり一代年寄の名跡と別に一般の年寄株を一つ保有することが認められる。
    過去に功績顕著として一代年寄の襲名が認められた横綱には、大鵬幸喜、北の湖敏満、千代の富士貢、貴乃花光司がいる。(千代の富士は満場一致で承認されたが、将来的に九重部屋を継承することで師匠と話が纏まっていた千代の富士が「部屋の名前は一代限りで無く末永く続くものにしたい」と辞退し、年寄・陣幕を襲名している(後に九重))。
    功績顕著の目安としては優勝20回以上というものがあり、該当者は日本国籍を取得しないまま引退した朝青龍明徳を除いて全員一代年寄を認められている。
    引退後、年寄として初めて番付に載る際は、上の名前が変わらないにもかかわらず一般の年寄と同様、氏名の上に「(四股名)改メ」と書かれる。
    審判委員に就任した場合、場内アナウンスは一代年寄名を一度言うのみである(例:「正面・審判長、『貴乃花』」)。
    通常ただ「一代年寄」というと、一般にはこの「功績顕著の一代年寄」のことを指す。
  • 《救済措置》
    引退時に年寄名跡を取得していない横綱や大関に、横綱5年・大関3年(大関については1998年5月より)に限り、現役時の四股名のまま年寄を名乗れる制度がある。
    これも制度上は一代年寄だが、通常は上記の一代年寄と区別するため「現役名年寄」と呼ぶ。
    引退後、年寄として初めて番付に載る際は、一般の年寄や功績顕著の一代年寄とは異なり、氏名の上に「(四股名)改メ」とは書かれない。
    委員待遇の正年寄であり、過去には「現役名年寄」のまま審判委員に任命された者もいる。
    過去に制度を利用した横綱・大関は以下の通り。
    横綱:朝潮(のち振分→高砂)、栃ノ海(のち中立→春日野→竹縄)、2代若乃花(のち間垣)、北勝海(現八角)、大乃国(現芝田山)、旭富士(のち安治川→現伊勢ヶ濱)、曙(退職)、武蔵丸(のち振分→大島→現武蔵川)
    大関:栃東(現玉ノ井)、琴欧洲(現鳴戸)
襲名手続

2014年1月30日を以て日本相撲協会が公益法人に正式移行する以前は力士の引退に際して理事会が開かれ直接年寄襲名の承認を得ていたが、それ以降は新設された年寄資格審査委員会で過半数の承認を経て、理事会で最終承認を得るという形式をとるようになった。この手続き形式で年寄襲名を果たした初の例が琴欧洲(大関3年)である。

年寄名跡の保有について

年寄となるには、年寄名跡を保有していることが前提となる。年寄名跡の複数保有は禁止されている(但し、一代年寄は一代年寄名跡とは別に通常の年寄名跡を一つ保有することができる)。
協会の公益法人化以前は億単位の金銭で売買されていた。
引退時に年寄名跡を保有していない場合は、名跡を保有している現役力士や退職者、遺族などから名跡を借りて襲名する場合がある。かつては借り株の年寄が審判委員などを務めていたこともあるが、2002年9月以降は職階が年寄(平年寄)のまま留め置かれ、部屋の師匠や、協会の役員になることは出来ない。
2014年1月30日を以て協会が公益法人に移行したことに伴い、年寄名跡は協会が管理することとなった。また、年寄名跡の襲名及び年寄名跡を襲名する者の推薦に関して金銭等の授受が禁止された(ただし、協会に申告することを条件に前親方に指導料を支払うことができるとしている)。
また、借り株も禁止となり、移行時点で借り株の年寄は移行日から3年間に限って現状維持が認められているが、公益法人化以降も2016年1月場所中に大道(現小野川)、土佐豊(現安治川)、9月場所後に玉飛鳥(現荒磯)が借り株で年寄となっているほか、借り株の年寄の名跡の借り換えも行われており、「借り株禁止」は有名無実となっているようである。

年寄の職務

現在では、親方にとって最も重視される仕事は部屋に所属する力士に対する指導・監督とされる。技術面の指導はもちろん、若い力士が部屋で集団生活を送るという相撲界の慣習から、精神面の指導や、さらにはちゃんこ番や付き人といった部屋内での力士の雑務についても親方が責任を負う。また部屋持ち親方の場合はスカウト活動にも余念がなく、全国の高校や大学を訪れたり入門希望者の面接なども親方として必要になってくる。部屋の経営に必要な資金は、協会から補助金が出るものの基本的には部屋持ち親方の持ち出しであり、活躍する力士を多く輩出することで有力な後援者を求めることも必要となる。
また全ての親方は協会の構成員として、理事長から指示された職務分掌に従い協会内の各部署の職務に当たる。勝負審判や巡業地の宿の手配や土俵造り、木戸口での入場券のもぎりを含む館内警備、協会の事務まで多岐にわたる。毎年1月場所終了後に定期の職務分掌異動があり(西暦偶数年は役員改選も行われる)、その他欠員・増員が生じた際は随時異動が命じられる。

年寄の報酬

こちらを参照のこと。

年寄の停年

かつては年寄に停年(定年)は定められていなかったが、1961年1月より年寄をはじめ、行司など協会員の停年が65歳と定められた。
停年日(65歳の誕生日の前日)が本場所開催中の場合はその場所の千秋楽まで協会に残ることができるが、部屋の師匠などを務めることはできない。
2014年11月16日より、停年を迎えて退職した年寄の再雇用制度が導入された。希望者は再雇用が認められれば最長で5年間年寄名跡を保有したまま参与の立場で協会に残ることができるが、給与は現行の7割になる。また、部屋の師匠や、協会の役員になることもできない。導入8日後の11月24日に65歳となった16代楯山(元関脇・玉ノ富士)が最初の適用者となった(同年12月6日付で適用)。

出典
Wikipedia:年寄
Wikipedia:年寄名跡

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