【相撲コラム】相撲人生24年・若の里引退

作者 FourTildes (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 3.0 または GFDL], ウィキメディア・コモンズ経由で

9月3日、元関脇・若の里が現役を引退し、年寄・西岩を襲名した。
名古屋場所で西十両11枚目の地位で4勝11敗。幕下陥落が決定的となり引退が濃厚となっていたが、地元・青森で「最後の雄姿」を見せたいと夏巡業に参加。青森巡業を目前に控えた8月17日に父・善造さんが急逝との悲報が届くも、19日の八戸市、20日の野辺地町の巡業では予定通り地元・青森のファンに最後の雄姿を披露していた。
(番付編成会議後の引退のため秋場所では西幕下4枚目で番付に掲載。)

10歳から相撲を始め、中学は相撲部のある弘前市立第二中学校に越境通学していた古川忍少年。弘前実業高校への進学が決まっていたが、中3の夏休みに地元弘前の巡業で憧れの横綱・貴乃花に胸を借りた時の感激からプロ入りを決意。当初は貴乃花と同じ二子山部屋へ入門するつもりだったが、13代鳴戸(元横綱・隆の里)に部屋見学を勧められたのをきっかけに鳴戸部屋に入門した。
1992年3月場所で初土俵。この場所は現在でも最多記録である160人が新弟子検査を受検しており、同期には同じ鳴戸部屋の元関脇・隆乃若(現タレント・尾崎勇気)、元前頭8・隆の鶴(現田子ノ浦親方)の他、同じく先場所限りで引退した元関脇・旭天鵬(現大島親方)、元小結・旭鷲山(現在はモンゴルで実業家)、智乃花(現玉垣親方)、元前頭1・朝乃若(現若松親方)、元前頭2・朝乃翔(元若藤親方。現在は(株)間口・相撲部監督)、元前頭10・春ノ山(元竹縄親方。現在は愛知県豊田市で「どすこい酒場 ちゃんこ春ノ山」経営)、元前頭12・駿傑(現在は元大関・琴光喜経営の焼肉店「やみつき」料理長)などがいる。

「1日100番以上」ともいわれる鳴戸部屋の厳しい稽古で着実に力をつけた古川は入門から5年後の1997年11月場所で新十両に昇格。師匠の「隆の里」と、師匠の師匠(つまり大師匠)である「若乃花」を合わせた「若の里」に改名。以後最後の場所となった先場所まで18年もの間関取の座を守り続けてきた。
1998年5月場所新入幕。その後怪我により十両陥落を経験するも強い腕力を活かした四つ相撲を武器に2000年11月場所で新小結、翌2001年1月場所で新関脇と、着実にステップアップする若の里。2002年1月場所から2005年1月場所まで19場所連続で三役に定着した(史上最長記録)。大関候補として注目された若の里であったが、大関獲りがかかった2003年11月場所、2005年1月場所はいずれも負け越しに終わり、チャンスをつかむことは出来なかった。

西関脇で迎えた2005年9月場所6日目に右大腿二頭筋断裂の大怪我を負うなど度重なる怪我に見舞われ、大関候補どころか十両落ちも4度経験したが、その度に這い上がってきた若の里。痛めた左肩や両ひざ、右足首などの手術の回数は実に10回にも及んだ。
しかしそれでも決して言い訳をせず、変化に逃げることなく真っ向勝負を貫いた。
20代前半の頃に1度だけ注文相撲を取ったことがあったが、その夜にすし屋で居合わせた客に「関取の真っ向勝負が好きだ」と言われてからは変化を封印した。2011年7月場所14日目には大関獲りのかかった琴奨菊に対し師匠(隆の里)から立ち合い変化の命令を受けたが、それでも真っ向勝負を挑み、琴奨菊に勝利した(師匠の命令に逆らったのはこの1度だけだったとの事)。

2011年11月場所を直前に控えた11月7日、師匠の鳴戸親方が急逝。若の里が引退して部屋を継承することも検討されたが、現役続行を希望。既に引退して、若の里の所有する年寄名跡・西岩を借りて部屋付き親方となっていた同期の隆の鶴が部屋を継承した。(その後2013年12月に田子ノ浦に名跡変更、部屋も田子ノ浦部屋となった。)

加齢から来る体力の衰えと、両ひざの痛みに耐えながらも決して信念を曲げずに真っ向勝負を続けてきた若の里。2014年7月場所で5度目の再入幕を果たすも、5勝10敗に終わり十両へ陥落。2015年1月場所では西十両筆頭で6度目の再入幕を狙うも5勝10敗。そして7月場所で幕下陥落が決定的となり、ついに土俵を降りることとなった。
23年半に及ぶ現役生活で積み上げた勝ち星は歴代7位の914勝(783敗124休)。幕内在位は歴代8位の87場所(三役在位26場所)におよぶが、数字とは無関係に、常に真っ向勝負を挑んだ若の里の相撲に対する姿勢は、ファンの記憶に大いに残るものだと思う。

思い出の一番には2つの一番が挙げられた。まずは1998年9月場所10日目の対貴乃花戦。前述の通り憧れの存在だった貴乃花との対戦が実現し、敗れはしたが、「その日だけは、(負けた)悔しさよりも対戦できたうれしさの方が勝っていたような感じがします。」と語った。因みに貴乃花とは9回対戦したが、9回とも敗れている。
もう一つは2014年11月場所10日目の対輝戦。この場所新十両の輝は部屋こそ違うものの、2011年5月場所から2013年11月場所まで2年間若の里の付き人を務めていた。異例ともいえる「元付き人との対戦」には若の里も「今までとは違った特別な感情があった」と語っている。この一番は若の里の勝利。更に2015年3月場所でも対戦し勝利。結果的に輝に勝利を譲ることはなかったが、それは次代を担う21歳の大器に対しての若の里なりの叱咤激励ではないだろうか。

今後は将来の独立も視野に入れて後進の指導に当たっていく若の里。今はただ、労いの念を贈ると共に、常に真っ向勝負を挑む若い力士を育てていくことを願ってやまない。

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