【相撲コラム】春日山部屋が一時閉鎖

春日山部屋が2015年9月まで使用していた部屋施設(2016年10月20日から仮施設として使用) By FourTildes (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

春日山部屋が2015年9月まで使用していた部屋施設(2016年10月20日から仮施設として使用)
By FourTildes (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons

日本相撲協会は10月12日に行われた理事会にて、春日山部屋の師匠を務める春日山(元前頭11・濱錦)について、師匠を辞任するよう全会一致で勧告を行った。(※一部では貴乃花理事などが反対したという噂もあるが、確認はとれていない。)
相撲協会、春日山へ師匠辞任勧告 春日山部屋抹消へ(日刊スポーツ)

辞任勧告に至った理由として、年寄名跡証書は先代春日山(元前頭1・春日富士)が所有している状態で、現・春日山が証書の受け渡しを求めて提訴したものの、2016年8月2日、横浜地裁川崎支部は現・春日山に対し、先代春日山へ証書の対価として1億7160万円の支払いを命じる一審判決を下した。現・春日山は即日控訴したが、協会はこれまで事実上「無免許」状態で部屋経営を行っていたことを問題視した。
さらに、この判決の直後協会は春日山に対し、担当審判として同行していた夏巡業のメンバーから外した(その後8月30日付で審判部からも外れた)うえで、弟子と寝食を共にして稽古と生活指導に専念するよう通達したが、協会が9月場所中に行った調査では春日山は場所中一度も稽古場に現れなかったとされ、春日山もそれを認めたことから、「師匠として不適格」と判断されたためであった。
その後春日山部屋の地元・川崎市にある川崎大師が勧告撤回を求める署名活動を行ったほか、後援会や、地元川崎市の福田紀彦市長が嘆願書を提出。さらに春日山部屋の力士23人のうち11人が嘆願書を提出したうえで、18日に幕下・水口と同・萬華城が、「協会側の主張は事実と異なる」などとして勧告撤回を求める会見を開く事態となった。

しかし、勧告の回答期限である19日、春日山は勧告の受諾を伝えたことにより、同日付で春日山部屋は閉鎖、力士23人、年寄2人、行司1人、呼出1人、床山2人、世話人1人が同じ伊勢ヶ濱一門の追手風部屋に移籍した。
しかし完全な閉鎖ではなく、今後新たな師匠の下での再興を視野に入れているここと、埼玉県草加市にある追手風部屋の施設では春日山部屋の力士を受け入れることが困難なことから、春日山部屋が2015年9月まで使用していた川崎市内の部屋施設(先代が所有)を併用する形となり、追手風部屋の部屋付き親方である15代中川(元前頭14・旭里)が師匠代行として川崎で指導を行うこととなった。また九州場所の宿舎についても春日山部屋が使用予定だった佐賀県の施設を併用する予定だ。

そんな中、水口、萬華城ら力士12人(嘆願書を提出した11人+1人)は20日までに春日山を通じて引退届を提出。協会側は引退届は受理せずに引退を思い止まるよう説得する姿勢を見せているが、12人は合同断髪式を計画するなど意思は固いとみられ、また後援会側は師匠交代の場合は今後の支援を拒否すると表明するなど、春日山部屋再興に向けての道程はかなり厳しいものとなっている。

一連の騒動について、相撲ファンの間では春日山を非難する声もある一方で、部屋存続を願う声を黙殺した協会に対する非難の声や、引退届を提出した力士たちの今後を案ずる声も多い。好角家でもあるエッセイストの能町みね子氏は自身のTwitterなどで今回の事態の旗振り役となった春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)や鏡山総合企画部長(元関脇・多賀竜)を非難するなどしている(現在は削除)。

と、ここまでは今回の騒動の簡単な(?)まとめだが、そもそもなぜこんなことになったのであろうか…

春日山部屋は1955年5月に15代春日山(元大関・名寄岩)が幕内・大昇らを連れて立浪部屋より分家独立する形で創設された。1971年1月に15代目が逝去したため、部屋付き親方の12代浦風(元前頭1・大昇)が16代春日山として部屋を継承した。16代目は春日富士を育てるが、1990年7月に停年を迎えたため春日山部屋は閉鎖となり、春日富士ら所属力士は安治川部屋(現・伊勢ヶ濱部屋)に移籍した。その後春日富士は1996年9月場所限りで引退して20代春日山を襲名し、1997年7月に安治川部屋から分家独立して春日山部屋を再興。自身の地元である神奈川県川崎市に部屋を構えた。
2012年1月の協会理事選挙で理事に初当選し、総合企画部長として協会執行部入りした20代目(先代春日山)は、部屋の経営と理事の職務の両立は難しいとの理由で、追手風部屋所属の濱錦が現役を引退し、21代春日山として師匠に就任。先代春日山は16代雷に名跡変更して春日山部屋付きの親方となった。しかし、雷(先代春日山)は自身の不倫や不正経理疑惑が報道された責任を取り同年9月に協会を退職した。
ところが2013年10月、先代春日山は春日山が部屋施設の賃料を滞納しているとして賃料の支払い及び部屋施設からの退去を求め提訴。一方の春日山も先代春日山が年寄名跡証書を不当に保有しているとして証書の受け渡しを求めて逆提訴し、両者の関係は完全な泥沼状態となった。
賃料未払いの訴訟は2015年6月に和解が成立し、春日山部屋は同年9月場所後に同じ川崎市川崎区内の別の施設に移転したが、年寄名跡証書受け渡しの訴訟は前記の通り現・春日山側敗訴の判決が下り、今回の事態へと繋がっていったのだ。

先代春日山は師匠である16代春日山から殆ど無償に近い最低限の金額で名跡を譲り受けたそうだが、そんな名跡になぜ1億円以上の対価がついたのだろうか。現・春日山の襲名は協会が公益法人化する前に行われたとはいえ、年寄名跡の売買を禁じた現在の協会の方針とは大きくかけ離れている感も否めない。先代春日山は退職時に襲名していた雷の名跡を現襲名者である元小結・垣添に譲渡しており、この譲渡も今回の春日山の名跡と同じような対価で行っていたと仮定するならば、先代春日山は暴利を貪っているという感もある。
一方9月場所中に一度も稽古場に行かなかったとされている春日山だが、18日の水口らの会見によれば事実と異なる部分があるとしている。例えば朝稽古には姿を見せなかったものの、夜には必ず部屋に来ていたとする点など。また水口らは協会は十分な調査を行っていなかったとも主張したとされている。しかしながら、事実関係の誤認などがあったにせよ、春日山が弟子への指導を蔑ろにしていたと捉えられたことに変わりはなく、その点では春日山の責も免れないだろう。
しかし、何よりも残念なのはわが街の相撲部屋を守りたい地元・川崎市のファンや、部屋移転時に施設を確保するなど尽力した関係者、現・春日山を慕い引き続き現・春日山の下で川崎で相撲を続けたいという弟子たちの想いを協会は一切聞き入れなかったことだろう。これはせっかく相撲人気が再び上がり続けているいいムードに水を差す格好になってしまっただけに、せめてもう少し猶予の機会を与えてもよかったのではないのだろうか。

ともかく今は、今後の推移を見守っていきたいと思う。

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