【相撲コラム】新大関・栃ノ心誕生

2018年1月場所にて西前頭3枚目の地位で14勝1敗で初優勝を果たし、翌3月場所は関脇で10勝5敗、5月場所は13勝2敗の好成績を挙げた栃ノ心が、5月場所終了後の臨時理事会で大関に推挙され、満場一致で大関昇進が決定した。
新大関誕生は2017年5月場所後の髙安以来1年ぶり。外国出身力士としては2015年5月場所の照ノ富士以来3年ぶり。ジョージア出身としては初の大関で、ヨーロッパ出身としては2005年11月場所後の琴欧洲(ブルガリア出身・現鳴戸親方)、2010年3月場所後の把瑠都(エストニア出身)以来8年ぶり3人目の新大関となる。

角界入りまで

1987年10月23日、ジョージアの首都トビリシ近郊の古都ムツヘタでワイン農家を営むゴルガゼ家で生をうけたレヴァニ少年。サンボの旧ソ連王者の経験を持つ祖父のもと家業を手伝いながらも、3歳で始めた伝統武術「チタオバ」や、小学生から始めた柔道でメキメキと力を付け、サンボではヨーロッパU-23王者、柔道では五輪代表候補になるなど実績を上げていった。
そんなレヴァニの転機となったのは16歳の時。2004年7月に大阪・堺市で開催された第5回世界ジュニア相撲選手権大会に、相撲の稽古もままならないままに出場し、無差別級で3位入賞を果たした。
※無差別級の優勝は澤井豪太郎(埼玉栄高/現・豪栄道)、準優勝はトート・アティッラ(ハンガリー/現・舛東欧)、レヴァニと同じ3位はリカルド・スガノ(ブラジル/現・魁聖)であった。また重量級では後に兄弟子となる影山雄一郎(明徳義塾高/現・栃煌山)が優勝している。
更に翌2005年に両国国技館で開催された第6回大会では重量級で準優勝。次第に相撲の魅力に取りつかれ、大相撲入りを決意したレヴァニは元関脇・栃乃和歌の春日野部屋に入門、「栃ノ心」として2006年3月場所で初土俵を踏んだ。

スピード昇進とその後の苦悩

2007年11月場所後に所要11場所の速さで十両に昇進。黒海に次ぐ2人目のジョージア出身関取となった。
そして新十両で迎えた2008年1月場所は12勝3敗で十両優勝。翌3月場所も9勝6敗で勝ち越すと、翌5月場所では早くも新入幕。所要13場所での新入幕は史上10位タイ(当時)のスピード記録であった。

しかし、スピード昇進とは裏腹に入幕後は一進一退の状況となる。
2009年11月場所で12勝3敗の好成績で初の三賞(敢闘賞)を獲得も西前頭筆頭で迎えた翌場所は5勝10敗。2010年5月場所では8勝7敗ながら4大関(日馬富士・琴欧洲・琴光喜・魁皇)を破る活躍で2度目の敢闘賞を獲得し、翌7月場所は新三役(西小結)で迎えるも琴欧洲を除く横綱・大関戦にすべて敗れるなど6勝9敗に終わった。翌2011年7月場所に再び西小結に上がるもまたも6勝9敗の成績。
この頃の栃ノ心は門限破りや服装違反が多かったといい、10月には師匠からゴルフクラブで叩かれる事態となったが、この一件を機に栃ノ心は心を入れ換え、相撲道に精進することとなる。師匠の行為については八百長問題などの角界の諸問題が立て続けで起きてからまだ日も浅いこともあり批判の声も多かったが、栃ノ心にとっては自らの相撲道を見つめなおすいい契機となったのではないだろうか。

2013年7月場所5日目、2勝2敗で迎えた栃ノ心は徳勝龍と対戦。徳勝龍を寄り切りで破るも、右膝を負傷。診断の結果は「右膝前十字靭帯断裂・右膝内側側副靭帯断裂」という重傷で、翌6日目から休場となった。

大怪我からの復活、そして躍進

9月場所は十両に陥落するも、全休。関取としては最下位となる西十両14枚目まで下がった11月場所も全休となり、幕下陥落となってしまった。
西幕下15枚目まで下がった翌2014年1月場所も全休となり、3月場所では西幕下55枚目まで番付を落とした。半年近くにも及ぶ休場期間の間、栃ノ心は引退も考えたが、師匠から「あと10年は相撲を取らなきゃダメだ」と咤激励を受け、復活の土俵に臨むこととなる。
その3月場所は格の違いを見せつけ全勝優勝。西幕下6枚目で迎えた5月場所でも2場所連続全勝優勝を果たし、復帰から2場所での再十両を果たした。その7月場所では12勝2敗で迎えた千秋楽で、13勝1敗で新十両からの2場所連続十両優勝に王手をかけていた逸ノ城に土を付け、共に13勝2敗として臨んだ優勝決定戦でも勝利し、逆転の十両優勝。翌9月場所は史上5人目となる15戦全勝での十両優勝を果たし、4場所連続優勝で幕内への復帰を果たした。8場所ぶりに幕内力士として臨んだ11月場所では11勝4敗で4度目の敢闘賞。復活を印象付けた。
翌2015年1月場所は場所前に罹患したインフルエンザの影響で6勝9敗と振るわなかったが、3月場所では日馬富士から初の金星を挙げた。その3月場所から3場所連続で勝ち越し、9月場所では5度目の小結昇進。幕下55枚目からの三役復帰は戦後では最も低い地位からの三役復帰となった。自身初の「東小結」で迎えた9月場所では10勝5敗と三役で初めて勝ち越し、5度目の敢闘賞を獲得するも、関脇の栃煌山、妙義龍が共に勝ち越したこともあり11月場所は東小結のまま据え置き。その場所は6勝9敗で負け越した。
その後3場所連続で負け越しとなるも翌2016年5月場所では10勝を挙げ初の技能賞。7月場所では新関脇となった。新小結を経験した力士が幕下陥落のあと新関脇となったのは昭和以降では初のケースとなった。

初優勝そして大関へ

その後は古傷である右膝の不安もあり一進一退の状況がしばらく続いたが、西前頭3枚目で迎えた2018年1月場所は、髙安(4日目)、豪栄道(5日目)の両大関を下すなど初日から6連勝。7日目に横綱・鶴竜(白鵬・稀勢の里は途中休場のため対戦なし)に敗れたものの快進撃は止まらず、14日目には同期(2006年3月場所初土俵)の松鳳山を破り、自身初の幕内最高優勝が決定。千秋楽も遠藤に勝って14勝1敗の好成績で締めくくった。平幕優勝は2012年5月場所の旭天鵬(現友綱親方)以来。ヨーロッパ出身力士としては琴欧洲、把瑠都に続き3人目。春日野部屋所属力士の優勝は1972年1月場所の栃東(初代)以来46年ぶり。因みに46年前の栃東も平幕優勝だった。
2月の日本大相撲トーナメントでも初優勝するなど大関獲りへの足掛かりと期待の高まる中10場所ぶりとなる関脇の地位で迎えた3月場所は場所前に左足付け根を痛めるアクシデントに悩まされたものの10勝5敗。5月場所での成績如何では大関昇進が現実のものとなってきた。
そして5月場所は初日から12連勝。特に12日目にはこれまで25回対戦して一度も勝てなかった横綱・白鵬に26度目の対戦にして初勝利。翌13日目に正代、14日目には鶴竜に敗れ2度目の優勝はならなかったものの(優勝は鶴竜)、千秋楽は勢を破り13勝2敗で終えた。この好成績を受け、阿武松審判部長(元関脇・益荒雄)は臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱・北勝海)に要請。そして5月30日の臨時理事会にて大関・栃ノ心が誕生した。新入幕から60場所での大関昇進は、1980年1月場所後の増位山(2代)と並び史上1位タイのスロー出世記録となった。春日野部屋からの大関昇進は1962年5月場所後の栃ノ海(のち横綱)・栃光の同時昇進以来56年ぶり。

出羽海理事(元前頭2・小城ノ花)、大鳴戸審判委員(元大関・出島)を使者として迎えた伝達式で栃ノ心は、「親方の教えを守り、力士の手本となるように稽古に精進します」と口上を述べた。
嘗ては増長し規律破りを繰り返してきた時は師匠からの喝で心を入れ換え、そして力士生命が危ぶまれる大怪我で苦しんだ時も師匠からの叱咤で復活を遂げた。それだけ栃ノ心にとって師匠の教えは自身の相撲の根幹にあるものだと口上から感じ取れる。愛用の締め込みは師匠が嘗て使用していたものであり、栃ノ心の師匠への想いがうかがえる。

一度はどん底を味わい、それでも這い上がって、大関にまで上り詰めた栃ノ心。勿論、それがゴールではないことは本人も十分理解しているはずだ。持ち前の「怪力相撲」の本領発揮はここからだ。

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