【相撲コラム】新大関・貴景勝誕生

元号が「平成」から「令和」に代わり、正に新たな時代の幕開けとなる2019年5月場所で、22歳の若武者が新たな気持ちで土俵を踏む。
その名は貴景勝光信。身長175cmと力士としては小柄な部類に入るが、重い体格を生かした鋭い突き押しを最大の持ち味とする。2018年11月場所にて13勝2敗で初優勝を飾り、平成最後の本場所となった2019年3月場所後の臨時理事会にて三役の地位での3場所連続2桁勝利、合計34勝の実績が評価され、満場一致で大関昇進が決定した。新大関の誕生は2018年5月場所後の栃ノ心以来10か月ぶり。日本出身力士としては2017年5月場所後の髙安以来約2年ぶり。兵庫県出身力士としては1980年1月場所後の2代増位山(姫路市出身。ただし実際は東京都墨田区出身である)以来39年ぶり4人目。

生い立ち

本名・佐藤貴信。1996年8月5日、兵庫県芦屋市で生まれた。
貴信少年が相撲を始めたのは小学3年生の時。それまで極真カラテを習い、全国大会に出場するまで腕を上げたが、決勝で判定負けを喫し準優勝に終わった。この判定に納得がいかなかった貴信少年は、判定のある競技はやりたくないと思い、父と相談の上相撲に転向。関西奄美相撲道場に入門した。小学生の間は当時貴乃花部屋が主宰していた「貴乃花キッズクラブ」にも東京まで足を運んで参加し、更に父によるスパルタ教育もあって徐々に地力をつけていく。
報徳学園中学校に進学すると、当然ながら相撲部に入部。中学3年の全国中学生相撲大会では決勝で打越奎也(のちの阿武咲)を破り中学横綱のタイトルを獲得し、埼玉栄高校相撲部・山田道紀監督からの熱心なスカウトを受け、埼玉栄高校に進学した。
埼玉栄高校での3年間で関東高等学校相撲選手権大会無差別級2連覇、全日本ジュニア相撲選手権大会無差別級2連覇、世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など数多くのタイトルを手にした。そして日に日にプロへの気持ちが高まったという貴信少年は予定されていた国体出場をキャンセルし、2014年9月、高校在学中のまま小学生の頃から所縁のあった貴乃花部屋に入門した。

角界入り後、幕内昇進まで

2014年9月場所にて本名の「佐藤」で初土俵を踏み、初めて番付に名前が載った翌11月場所では序ノ口全勝優勝、翌2015年1月場所でも全勝で序二段優勝を飾る好スタート。高校を卒業し、三段目として迎えた3月場所ではデビューからの連勝が15でストップしたものの、5勝2敗の好成績で翌5月場所では早くも幕下に昇進した。
その5月場所では6連勝とするも七番相撲で高木(現・髙立)に敗れ幕下優勝ならず。9月場所でも6連勝しながら七番相撲で幕内経験者の東龍に敗れまたも全勝優勝ならず(6勝1敗で佐藤を含む8人が並び優勝決定トーナメントに進んだが、決勝で千代翔馬に敗れた)。
初めて幕下1桁台(西幕下7枚目)の番付となった翌11月場所では初めての負け越し(3勝4敗)となるが、1場所置いて東幕下9枚目で迎えた2016年3月場所ではまたも初日から6連勝。13日目の七番相撲で幕内経験者の大岩戸を下し、三度目の正直で幕下全勝優勝を果たし、新十両昇進を決めた。貴乃花部屋では初めての日本出身力士の関取であった。

新十両(東十両13枚目)で迎えた2016年5月場所では初日から8連勝の快進撃(新十両場所での初日からの8連勝は15日制定着以降史上6人目であるが、10代(当時19歳9か月)での達成は佐藤が初だった)を見せ、十両優勝こそならなかったが、11勝4敗の好成績を挙げた。翌7月場所は負け越し(6勝9敗)たものの、9月場所は10勝5敗と盛り返し、西十両3枚目で迎えた11月場所では12勝3敗で十両優勝を飾り、場所後の新入幕を確定させた。

幕内昇進後

2017年1月場所で東前頭12枚目となり、新入幕を果たす。これを機に、これまで本名のままだった四股名を上杉景勝に因み「貴景勝光信」に改めた。新入幕の場所は7勝8敗と勝ち越しはならなかったが、翌3月場所では11勝4敗で初の三賞となる敢闘賞を手にする。7月場所では西前頭筆頭にまで番付を上げたが、5勝10敗と上位陣の壁に阻まれた。しかし翌9月場所では9勝6敗ながら、この場所優勝の日馬富士から初の金星を挙げたことが評価され殊勲賞を獲得した。再び西前頭筆頭となった翌11月場所では2日目に日馬富士、4日目に稀勢の里から金星を挙げるなど11勝4敗、2場所連続の殊勲賞も獲得し、三役昇進を決定づけさせた。
新三役(東小結)で迎えた翌2018年1月場所は三役の壁に阻まれ5勝10敗、翌3月場所は右足を痛め11日目から途中休場(3勝8敗4休)するなど苦杯を味わったが、翌5月場所、7月場所は共に10勝5敗として再び盛り返し、9月場所で再び小結(西小結)に昇進し、9勝6敗と三役で初の勝ち越しとなった。

逆境の中での初優勝 そして大関へ

9月場所後、師匠の貴乃花が2017年11月場所中に発覚した日馬富士の暴行問題に端を発する一連の騒動の果てに日本相撲協会を退職。貴乃花部屋の力士たちは貴乃花の兄弟子であった元小結・隆三杉が師匠を務める千賀ノ浦部屋へ移籍となった。
そんな逆境の中で迎えた小結2場所目(東小結)の11月場所では初日に稀勢の里、2日目に豪栄道を破るなど6連勝。7日目に御嶽海に敗れたが、8日目から再び6連勝。14日目に優勝争いを繰り広げていた髙安に敗れ2敗目を喫するも、千秋楽の本割で錦木に勝ち、髙安が御嶽海に敗れたことにより、初の幕内最高優勝を果たした(同時に殊勲賞・敢闘賞も獲得)。小結の優勝は15日制定着以降では2000年5月場所の魁皇(のちに大関。現・浅香山)以来18年ぶり史上6人目。22歳3か月での初優勝は年6場所制以降(1958年以降)では史上6番目の年少記録。初土俵から所要26場所での初優勝は年6場所制以降では史上4位タイのスピード記録。
初優勝を成し遂げ、大関獲りへの期待が高まる中、新関脇として迎えた翌2019年1月場所は、稀勢の里の引退、鶴竜らの途中休場で場所全体が精彩を欠く中で存在感を見せつけ、11勝4敗(初の技能賞も獲得)として大関昇進ラインとされる「直近3場所を三役として合計33勝」を成し遂げたが、総合的な判断で大関昇進は見送られ、翌場所に持ち越しとなった。
そして迎えた3月場所であったが、14日目までは9勝5敗。阿武松審判部長(元関脇・益荒雄)からも「千秋楽の結果次第」と言われる中で迎えた千秋楽。相手は角番で7勝7敗の大関・栃ノ心。どちらも絶対に負けられない中での一番となったが、鋭い立ち合いからの一気の押し出し。貴景勝の最大の持ち味である押し相撲が冴えわたり、大関昇進を確定させた。また、先場所と同じく押し相撲の技術が評価されて2場所連続の技能賞も獲得している。
千秋楽での勝利を受け、臨時理事会の招集が決定。そして場所後の3月27日の臨時理事会で大関昇進が決まった。初土俵から所要28場所での大関昇進は年6場所制以降では幕下付出しを除き史上6位、日本出身力士としては史上1位のスピード記録。22歳7か月での昇進は史上9位の年少記録。
そして出羽海理事(元前頭2・小城ノ花)、西岩審判委員(元関脇・若の里)を使者として迎えた伝達式では次のように口上を述べた。

「大関の名に恥じぬよう、武士道精神を重んじ、感謝の気持ちと思いやりを忘れず相撲道に精進してまいります」

埼玉栄高校に入学当初の貴信少年は中学横綱の実績を鼻にかけて傲慢に振舞っていたが、山田監督や先輩部員から徹底的に礼儀を叩き込まれたという。この口上は、「クソ生意気だった」(本人談)という自身を正してくれた恩師・山田監督に対する感謝の表れであり、その恩を自ら相撲道に精進することで返したいという思いが込められているのではないだろうか。
平成という一つの時代が終わり、令和という新しい時代が幕を開ける中で、貴景勝はさらなる進化を遂げるために日々精進に励んでいくであろう。

ranking2
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

kanren