【相撲コラム】第72代横綱・稀勢の里誕生

By FourTildes (Own work) [CC BY-SA 3.0 or GFDL], via Wikimedia Commons


2017年初場所で14勝1敗で悲願の初優勝を果たした大関稀勢の里(30=田子ノ浦)が、1月25日の理事会にて横綱昇進が決まり、ここに第72代横綱・稀勢の里が誕生した。日本出身力士の横綱昇進は1998年の若乃花(3代)以来19年ぶりとなる。

誕生から大関昇進まで

まさに待望の横綱昇進だ。
1986年7月3日、兵庫県芦屋市にて産まれ、2歳の時に茨城県龍ヶ崎市に転居(その後中学2年次に牛久市に転居)した萩原寛少年が相撲を始めたのは小学2年の時から。
小学4年から6年までわんぱく相撲の全国大会に出場する一方で、4年生の時から野球にも取り組んだ。
中学では相撲部がなかったこともあり野球部に入部し、3年次にはエース兼4番打者として活躍。茨城の強豪・常総学院からスカウトされるほどであったが、「自分はでかいだけ。野球には向いてない」として断り、卒業後大相撲入りすることを決意。第59代横綱・隆の里が師匠を務める鳴戸部屋に入門し、2002年3月場所にて本名の「萩原」で初土俵を踏んだ。
一日百番ともいわれる厳しい稽古で鍛えあげられた萩原は東幕下18枚目で迎えた2004年1月場所で全勝優勝。東幕下筆頭となった翌3月場所も5勝2敗とし、貴乃花に次ぐ史上2番目の年少記録となる17歳9か月で十両に昇進を果たす。十両を3場所連続で勝ち越し、同年11月場所で18歳3か月(貴乃花に次ぎ史上2番目の年少記録)で幕内に昇進。これまで本名のままだった四股名を「稀勢の里」に改めた。
入幕からしばらくは一進一退の成績だったが、2005年9月場所では最後まで優勝争いに関わる12勝3敗の好成績を挙げ初の三賞(敢闘賞)を獲得。2006年7月場所では小結に昇進。2009年3月場所では関脇に昇進した。
2011年は(中止となった3月場所を除き)関脇に定着。7月場所で10勝、9月場所で12勝(殊勲賞)で初の優勝次点(優勝は白鵬)と「大関獲り」の期待がかかった矢先の11月場所直前に師匠の鳴戸親方が急逝。しかしその悲しみを乗り越えて10勝(技能賞)を挙げ、11月30日に大関に昇進した。

大関昇進後の苦悩

2013年5月場所は初日から13連勝するも、14日目に全勝同士で迎えた白鵬との一番に敗れ、千秋楽も琴奨菊に敗れて優勝を逃した(白鵬が全勝優勝)が、北の湖理事長(当時)からは「7月場所でハイレベルでの優勝を果たせば横綱昇進もありうる」とされ、7月場所を初の「綱取り場所」として迎えたが、この場所は11勝4敗に終わり、1場所で振り出しに戻る形となった。それでも11月場所では14日目まで優勝争いに加わり、更に白鵬・日馬富士の両横綱を破るなど13勝2敗の好成績で再び綱取りの機運が高まったが、その矢先の同年12月に先代師匠の急逝後部屋を継承した現師匠(元前頭8・隆の鶴)と先代遺族が年寄名跡証書の引き渡しを巡って対立する「お家騒動」が表面化。現師匠が急遽田子ノ浦の名跡を工面した後、千葉県松戸市の鳴戸部屋施設から東京都墨田区の仮施設(旧三保ヶ関部屋施設)への移転を余儀なくされるなど調整不足の不安の中で翌2014年1月場所の「綱取り場所」を迎えることとなった。田子ノ浦部屋所属となり2度目の綱取り場所となった1月場所では部屋の「お家騒動」に巻き込まれた影響と、場所前から痛めていた右足親指を悪化させたこともあり、千秋楽を休場(初土俵からの連続出場が953回で途切れる)。同時に7勝8敗と大関昇進後初の負け越しが決まり、翌3月場所は角番となった(結果的に最初で最後の角番となったが)。
7月場所では13勝2敗で優勝次点となり、9月場所では全勝優勝ならば昇進の可能性を期待されるも9勝に終わった。
3度の綱取りのチャンスでことごとく躓き、いつしか「優勝できない大関」のイメージが定着しつつあった。好角家の中には技術面では文句なしでも、メンタル面に問題があると指摘する声もあった。大事な一番で敗れ、悔しさのあまり支度部屋の風呂場で風呂桶を壊してしまう場面もあった。思えばこの時期が稀勢の里にとって最も苦しんだ時期でもあっただろう。

2016年、3度の綱取りと年間最多勝

2016年は初場所こそ中日にこの場所初優勝を果たした琴奨菊に敗れるなど9勝6敗だったが、翌3月場所は初日から10連勝。白鵬・日馬富士に敗れ13勝2敗の優勝次点(優勝は白鵬)に終わったが、またしても綱取りの機運が高まる。
4度目の綱取りとなる5月場所も好調を維持し初日から12連勝。白鵬・鶴竜の両横綱に敗れまたしても13勝2敗の優勝次点(白鵬が連続優勝)に終わったが、綱取りは継続となる。
5度目の綱取りとなる7月場所では千秋楽まで優勝の可能性があったものの12勝3敗と3場所連続の優勝次点(優勝は日馬富士)。3場所連続6度目の綱取りとなる9月場所は11日目にこの場所初優勝を全勝優勝で果たした豪栄道に敗れるなど10勝5敗に終わり、綱取りは振り出しに戻ってしまった。
しかし翌11月場所ではある記録がかかっていた。それは「年間最多勝」。9月場所終了時点で57勝。2位の日馬富士に1差でリードしていた。優勝なしでの年間最多勝は過去に例がないため、優勝しての年間最多勝を目指すも、3日目に遠藤、7日目には正代、13日目には栃ノ心と格下の平幕に対する取りこぼしが響き12勝3敗の優勝次点(優勝は鶴竜)に終わったが、白鵬・日馬富士・鶴竜の3横綱を含め三役以上(対戦のなかった大関・琴奨菊および同部屋の関脇・高安を除く)には全て勝利。日馬富士は11勝4敗に終わったため、初の年間最多勝に輝いた。日本出身力士の年間最多勝は1998年の若乃花(3代)以来だが、優勝なしでの年間最多勝は史上初のケースとなった。平幕相手に3敗という不安要素はあったものの、この年4度の優勝次点と、年間最多勝の実績を残したことから翌2017年1月場所は7度目の綱取りに臨むことになった。

悲願の初優勝・そしてついに頂点へ

7度目の綱取り場所となった2017年1月場所であったが、場所前の二所ノ関一門の連合稽古では琴奨菊に三番稽古で3勝7敗と苦戦、更に一部報道では右足に違和感があると報じられるなど綱取りに暗雲が立ち込めていた。
しかし場所が始まると一転して初日から8連勝。中日には同じく初日から連勝を続けていた白鵬が敗れ単独トップに。9日目はこの場所角番で既に2勝6敗の琴奨菊(この場所5勝10敗で大関から陥落)に敗れたものの、弟弟子の高安が白鵬を破る援護射撃もあり単独トップをキープ。そして1敗のまま迎えた14日目、平幕下位ながら3敗で優勝争いに絡む逸ノ城を破り、そして白鵬が平幕下位ながら3敗で直前まで優勝争いに絡んでいた貴ノ岩に敗れたことにより、初土俵から89場所、大関昇進から31場所目にして悲願の初優勝が決まった。
稀勢の里の初優勝を受けて場所後の臨時理事会の招集が決まった千秋楽は白鵬との一番。立ち合いから白鵬に一気に攻め込まれたが、土俵際での逆転のすくい投げで勝利し、14勝1敗の成績で締めくくった。表彰式での優勝インタビューに答える稀勢の里の目からは涙が零れ落ちていた。師匠との突然の別れ、重圧との戦い…数々の苦難を乗り越えて掴んだ優勝だった。
千秋楽翌日の23日の横綱審議委員会では開始からわずか10分で満場一致で横綱への推挙が決定。そして25日の臨時理事会にて横綱昇進が正式に決まり、春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)と高田川審判委員(元関脇・安芸乃島)を使者に迎え、都内のホテルで伝達式が行われた。稀勢の里の口上は簡潔なものであった。

『謹んでお受けいたします。横綱の名に恥じぬよう、精進いたします。』

口上そのものはシンプルなものであったが、その口調は横綱という角界の大看板を背負っていく覚悟と決意に満ち溢れたものであると感じられた。

当然ながら、横綱昇進はゴールではなく角界の代表たる横綱としての新たなるスタートライン。常に勝つことを求められる立場となるが、これまでの苦難を糧にして、更なる活躍を期待せずにはいられない。

補足1:稀勢の里横綱昇進アラカルト

  • 茨城県出身力士の横綱昇進は男女ノ川(第34代)以来81年ぶり。通算では稲妻(第7代)、常陸山(第19代)、男女ノ川に次いで4人目。
  • 新入幕から所要73場所での横綱昇進は史上1位のスロー記録。初土俵から89場所での昇進は昭和以降では3番目のスロー記録(1位は三重ノ海の97場所)。
  • 30歳6か月での横綱昇進は昭和以降では7番目の年長昇進(1位は吉葉山の33歳9か月)。
  • 横綱土俵入りは雲竜型で行う。26日には綱打ちと芝田山親方(第62代横綱・大乃国)による横綱土俵入りの指導が行われ、27日には明治神宮で横綱推挙式と奉納土俵入りが行われる。当日の化粧まわしは第45代横綱・若乃花(初代)の化粧まわしが用いられる予定。

補足2:横綱になると…

常勝を求められ、負け越せば引退勧告もありうる横綱だが、待遇面では大関より格段の差が付けられている。

収入

  • 横綱昇進時に協会より「名誉賞」として100万円を支給。
  • 月額給与は282万円(大関より47万3000円UP)
  • 場所毎に支払われる特別手当は20万円(大関より5万円UP)
  • 地方場所(大阪・名古屋・福岡)毎に支払われる出張手当は38万5千円(大関より5万2500円UP)
  • その他賞与(月給と同額を年2回支給)や力士褒賞金(稀勢の里の場合2017年1月場所終了時点で108万6000円)などを合わせると年収は5000万円を超える。

化粧まわし・付け人

  • 化粧まわしは太刀持・露払いの分を合わせた三つ揃えの化粧まわしを用いる。
  • 通常関取は明け荷は1個のみだが、横綱の場合は三つ揃えの化粧まわしがあることから3個となる。
  • 付け人は10人前後がつく(大関は5人前後)。

引退時

  • 養老金は1500万円(大関より500万円UP)。勤続加算金は横綱在位場所分は1場所50万円(大関在位場所分より10万円UP)。
  • 引退後5年間(大関は3年間)は年寄名跡を保有していなくても現役時の四股名のまま年寄(委員待遇)として協会に残ることができる(但し稀勢の里は既に年寄名跡「荒磯」を保有している)。
ranking2
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

kanren